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  • 執筆者の写真Yoshiyuki Kawano

第7回 茨城新聞「茨城論壇」への掲載(2023/5/13)

更新日:2023年10月7日

2022年4月より2か月に一回のペースで茨城新聞論壇への記事を書くことになりました。

                

 今回はその第7回目になります。

 内容をブログに掲載しますので、ご一読ください。



『茨城論壇』2023/5/13 茨城新聞掲載



『状況に応じた選択肢を』






 これだけの人が行き交う風景を眺めるのは何年ぶりだろうか。人々は笑顔を交わし、楽しげに語らっている。手をつなぎ、肩を寄せ合っている姿もある。そうした風景を眺めていると、私たちがこの数年間に失っていたものの大きさをあらためて感じる。

 

 4月22日、私は東京の代々木公園にいた。性の多様性を認め、尊重することを祝福する日本最大級のイベント「レインボープライド東京2023」に、学生たちや大学教職員の有志とともに参加していたからだ。このイベントは、コロナ過の期間は他の多くのイベントと同様に、オンラインや規模を縮小する形で開催を継続してきた。そして、今年度は数年ぶりに全面的に対面での開催となった。もちろん、コロナ過が完全に収束したわけではない。しかし、それでも人々が集い、語らい、連帯を表明している風景の中に身を置くと、その場のエネルギーの大きさや無限の可能性の広がりに、胸の高鳴りを強く感じることができた。

 

 コロナ過で社会にあった日常の姿は変わった。私の大学教員としての仕事も多くがオンライン化された。当初、私はそれを歓迎していた。そもそも私はオンライン化をコロナ過以前より積極的に取り入れていた経緯があり、オンライン化による物理的・時間的制約からの解放が私たちに多くの恩恵をもたらすと信じていた。

 しかし、当時そこには多くの障壁があった。その最たるものは人々の意識だったように思う。不慣れなデジタル機器への抵抗感から始まり、たとえば「会議」を例にとっても、オンラインで会議を行うというそれまで想像したこともない状況への不安や懐疑心が溢れていた。

 

 立ち止まって考えてみれば、それまでの会議には「対面」という暗黙の前提条件の中で物理的にも時間的にも「参加できる人」が参加して、物事が決められていたわけだ。一方でさまざな「事情」を抱えた人はその場に参加できず、たいがいの場合は蚊帳の外で出来上がった何かを伝えられる側だった。その人の有する「事情」こそが会議で話し合われる話題であったりするにもかかわらずだ。

 

 コロナ過は、人々がそうした意識や状況に気付く間も与えず、強制的に現実を塗り替えた。それまで遅々としてオンライン化が進まないことに歯がゆさを感じていた身からすると複雑な気分ではあったが、それでも結果としてオンライン化がさまざまな事情を抱えた人々の社会参画を後押しする姿を見ることができた。例えば、私には授業のオンライン化により障害のある学生からアクセスしやすくなったという声や、大学の会議に在宅勤務の子育て中の教職員もアクセスしやすくなったという声が寄せられた。

 

 今、人々の認識や社会情勢はさらに変わり、以前のような「対面」前提の風景へと揺り戻しとも言えるような流れがある。もちろん、冒頭で述べたように、私たちがこの間に失っていたものは大きく、それを取り戻そうとすることも大切なことだろう。しかし、同時に私たちはこの間にオンライン化に代表される多くの選択肢を持つことができた。もちろん残念ながらどの選択肢も完全ではない。オンライン化も機器や通信にアクセスできずに分断されてしまった人々が現に存在していた。重要なことは、手に入れた選択肢を目的はや状況に応じて組み合わせ、より多くの人が社会にアクセスできる風景を、当たり前のことのように皆が考えることではないだろうか。

 

 時計の針を戻すことはできない。だからこそ、私たちは、得たものと失ったものを見つめながら、次の一歩を踏み出す必要があるだろう。


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